旧国鉄佐賀線・筑後川昇開橋(福岡県大川市)
瀬高と佐賀を結んだ国鉄佐賀線(1987年廃止)を語るうえで、筑後川昇開橋の存在は欠かせません。廃止から30年を経た今もなお、昇開橋は筑後川下流部のシンボルとして、鉄道ファンのみならず多くの人に愛されています。
鉄道橋としての役目を終えたのち、昇開橋は歩行者橋に生まれ変わりました。今回はそんな昇開橋を、福岡県側から歩いてみたいと思います。

▲筑後川昇開橋入口
福岡県大川市にある昇開橋入口にやってきました。橋のたもとにあった筑後若津駅跡は、築堤が大きく切り崩されたことで、その痕跡を失っているようでした。
佐賀線の瀬高口には、最近まで多くの遺構が残っていましたが、有明海沿岸道路の建設に伴い、次々に整地・道路化されていきました。その一方で、佐賀口の廃線跡は早いうちにサイクリングロード化され、ホームごと保存された駅跡もあるそうです。

▲筑後若津駅跡から昇開橋を見て
天気がいい中、筑後川昇開橋に入ります。まもなく橋中央部が上がると聞き、その様子を見ることもできました。ラッキー!

▲筑後川昇開橋を歩く

▲昇開橋中央部

▲昇開橋中央部を見上げて

▲筑後川に浮かぶ漁船群
橋から筑後川を見ると、おびただしい数の漁船が岸に係留されていました。さすがは九州きっての大河!下流部では船舶往来がさかんに行われているようです。

▲上流側から眺めて
最後に川沿いから昇開橋を眺めてみました。

▲下流側から眺めて
側面から見ると、手すり以外、ほぼ鉄道時代から変わっていないことが分かります。郷土の宝がいつまでも大切にされることを願いつつ、秋晴れの筑後川を後にしました。
撮影日:2009年10月18日
鉄道橋としての役目を終えたのち、昇開橋は歩行者橋に生まれ変わりました。今回はそんな昇開橋を、福岡県側から歩いてみたいと思います。

▲筑後川昇開橋入口
福岡県大川市にある昇開橋入口にやってきました。橋のたもとにあった筑後若津駅跡は、築堤が大きく切り崩されたことで、その痕跡を失っているようでした。
佐賀線の瀬高口には、最近まで多くの遺構が残っていましたが、有明海沿岸道路の建設に伴い、次々に整地・道路化されていきました。その一方で、佐賀口の廃線跡は早いうちにサイクリングロード化され、ホームごと保存された駅跡もあるそうです。

▲筑後若津駅跡から昇開橋を見て
天気がいい中、筑後川昇開橋に入ります。まもなく橋中央部が上がると聞き、その様子を見ることもできました。ラッキー!

▲筑後川昇開橋を歩く

▲昇開橋中央部

▲昇開橋中央部を見上げて

▲筑後川に浮かぶ漁船群
橋から筑後川を見ると、おびただしい数の漁船が岸に係留されていました。さすがは九州きっての大河!下流部では船舶往来がさかんに行われているようです。

▲上流側から眺めて
最後に川沿いから昇開橋を眺めてみました。

▲下流側から眺めて
側面から見ると、手すり以外、ほぼ鉄道時代から変わっていないことが分かります。郷土の宝がいつまでも大切にされることを願いつつ、秋晴れの筑後川を後にしました。
撮影日:2009年10月18日
- 関連記事
-
-
ポタリングの記録(70km:宗像⇔須恵・篠栗)
-
旧国鉄佐賀線・筑後川昇開橋(福岡県大川市)
-
沖出古墳(福岡県嘉麻市漆生)―筑豊最古の前方後円墳
-