尾降神社(宗像市三郎丸)―城山西登山口にひかえる鎮守
今回は宗像市東部、三郎丸地区に鎮座する尾降(おさがり)神社をめぐります。
あれだけ近くを通っているにもかかわらず、この神社の存在を知ったのはつい最近のことです。近くを通る県道75号線からは見えず、脇道を少し分け入ったところで、ようやく入口の鳥居が見えてきます。
なお、当神社は城山西登山口の目印を兼ねています。西口から登山したことのある人は、確実にこの神社を見ることになるでしょう。あいにく僕は毎回、教育大側の登山口から城山に入っています。どおりで気づかないわけです。
伊東尾四郎氏編『宗像郡誌』では、以下のように記録されています。本文からの抜粋ですが、読みやすいよう新字体に統一しました。

▲神社入口・一の鳥居
参道入口から石段を上がると、一の鳥居が鎮座しています。鳥居は計3基(参道2基・末社1基)。

▲参道と二の鳥居

▲社殿正面(右は手水鉢、左は戦捷記念碑)
社殿はそれほど大きくありません。末社は向かって左奥に並んでいました。

▲社殿側面部と本殿

▲天満宮鳥居
先述の通り、末社には鳥居が1基鎮座しています。扁額銘は「天満宮」。

▲末社の小祠
豊受大神を祀る五穀神社には、白狐像が安置されています。

▲藤棚
ここからは付録です。
尾降神社から平等寺地区に下ると、公園に謎のシルエットが見えました。
怪しがりて近づくと、その正体は公園のブランコでした。その支柱が「腕を広げたインディアンの男」風に加工されていたのですが、どこかジブリ映画の巨大ロボット兵に見えたので、じっくり見物してみることに。

▲泉ヶ丘を背景に腕を伸ばす巨大ロボット兵
これまで市内の公園を見てきた中で、これほど特色のあるブランコはないでしょう。どこか怪しげな表情ですし、人気のない夜にこれを見たくはないなぁ...。
撮影日:2023年3月19日
テレビやSNSではここ最近、海外旅行に関する発信が増えてきました。ようやく脱コロナが始まったと喜んでいる一方、複雑な気分の自分もいます。
今からでも国外に出たいという気持ちはありますし、その気になれば1か月は戻らないでしょう。ただ一つ、面倒な問題が残っています。あれだよあれ...帰国時72時間以内の陰性証明です。
はっきり言って無意味でしょアレ。あれほどコロナ騒動でバカ騒ぎしていた台湾でさえ、普通に往来できるそうじゃないですか。3回以上接種は絶対安全で、未接種ないし接種2回以下は病原菌扱いというのが、なんとも嫌らしい。PCRを受ける気はないですし、そもそも検査場少ない&高額みたいですし、今は行って帰ってくる気にはなれません(金持ちじゃないから割に合わない)。
海外旅行ブロガーという立場上、TwitterのFFさんには同業者が多く、今年に入ってから現地からの生配信が増えてきました。ああいった情報を見ていると、かなり精神をやられるのでTwitterからは距離を置いています。
3月に入ってからツイート数が減ったのは、そういう事情があるからです。なぜこうも、政府は柔軟に対応できないのか...。
あれだけ近くを通っているにもかかわらず、この神社の存在を知ったのはつい最近のことです。近くを通る県道75号線からは見えず、脇道を少し分け入ったところで、ようやく入口の鳥居が見えてきます。
なお、当神社は城山西登山口の目印を兼ねています。西口から登山したことのある人は、確実にこの神社を見ることになるでしょう。あいにく僕は毎回、教育大側の登山口から城山に入っています。どおりで気づかないわけです。
伊東尾四郎氏編『宗像郡誌』では、以下のように記録されています。本文からの抜粋ですが、読みやすいよう新字体に統一しました。
尾降神社
赤間村大字三郎丸字一ノ構口にあり。
〔神社帳〕
一、祭神 大戸道尊 大戸麻辺尊
一、由緒 古へ蘿岳に鎮座せしを、元禄十四年已巳年今の社地に移しぬ。例祭九月十三日。明治五年十一月三日村社に被定。昭和十一年一月十八日神饌幣帛料供進指定。
一、境内神社九社
〔筑前続風土記附録〕三郎丸村
尾降(ヲサガリ)社:神殿方一間、拝殿二間三間、祭礼九月十九日、奉祀位賀相模。
産神なり。祭る所天神七代也。社家の説に、永禄の比、宗像氏貞初て祭れりとそ。其頃は蘿岳の麓三本松といふ所にありしが、元禄年中村民今の地に移しぬ。
〔筑前国続風土記拾遺〕尾降神社
所祭神、大戸道尊、大戸麻邊尊也。里民云。往古蘿岳より此山の南の尾に降臨し給ひしに依て、其処に祠を建て、尾降社と云。今其所を古尾下といふ。本社より五町斗に在。其後永禄の頃、大宮司氏貞白山城を去て、蘿岳に移られし時、此山の麓三本松といふ所に、遷座ありしか、蘿岳没落の後、産徒の老若参詣の便宜悪しくとて、元禄の頃、また今の宮所に移して、産霊と斉祀れり。祭日九月十九日、吉留村位賀氏奉祀す。
赤間村大字三郎丸字一ノ構口にあり。
〔神社帳〕
一、祭神 大戸道尊 大戸麻辺尊
一、由緒 古へ蘿岳に鎮座せしを、元禄十四年已巳年今の社地に移しぬ。例祭九月十三日。明治五年十一月三日村社に被定。昭和十一年一月十八日神饌幣帛料供進指定。
一、境内神社九社
- 天満神社 祭神:菅原神 由緒不詳 字一ノ構口より移転
- 須賀神社 祭神:素戔嗚神 由緒不詳 字一ノ構口より移転
- 貴船神社 祭神:高龗神 由緒不詳 字貴舟ノ前より移転
- 荒神社 祭神:澳津彦神 由緒不詳 字藤ヶ谷より移転
- 山神社 祭神:大山祇神 由緒不詳 字堂ノ上より移転
- 粟島神社 祭神:少彦名神 由緒不詳 字川端より移転
- 福智神社 祭神:保食神・大年神 由緒不詳 字川端より移転。(権七神祠字川端より移転の上、当社へ合併。)
- 金刀比神祠 祭神:少彦名神 由緒不詳 字川端より移転。
- 五穀神祠 祭神:豊受神 由緒不詳 字川端より移転。
〔筑前続風土記附録〕三郎丸村
尾降(ヲサガリ)社:神殿方一間、拝殿二間三間、祭礼九月十九日、奉祀位賀相模。
産神なり。祭る所天神七代也。社家の説に、永禄の比、宗像氏貞初て祭れりとそ。其頃は蘿岳の麓三本松といふ所にありしが、元禄年中村民今の地に移しぬ。
〔筑前国続風土記拾遺〕尾降神社
所祭神、大戸道尊、大戸麻邊尊也。里民云。往古蘿岳より此山の南の尾に降臨し給ひしに依て、其処に祠を建て、尾降社と云。今其所を古尾下といふ。本社より五町斗に在。其後永禄の頃、大宮司氏貞白山城を去て、蘿岳に移られし時、此山の麓三本松といふ所に、遷座ありしか、蘿岳没落の後、産徒の老若参詣の便宜悪しくとて、元禄の頃、また今の宮所に移して、産霊と斉祀れり。祭日九月十九日、吉留村位賀氏奉祀す。

▲神社入口・一の鳥居
参道入口から石段を上がると、一の鳥居が鎮座しています。鳥居は計3基(参道2基・末社1基)。

▲参道と二の鳥居

▲社殿正面(右は手水鉢、左は戦捷記念碑)
社殿はそれほど大きくありません。末社は向かって左奥に並んでいました。

▲社殿側面部と本殿

▲天満宮鳥居
先述の通り、末社には鳥居が1基鎮座しています。扁額銘は「天満宮」。

▲末社の小祠
豊受大神を祀る五穀神社には、白狐像が安置されています。

▲藤棚
付録:平等寺の巨大ロボット兵
ここからは付録です。
尾降神社から平等寺地区に下ると、公園に謎のシルエットが見えました。
怪しがりて近づくと、その正体は公園のブランコでした。その支柱が「腕を広げたインディアンの男」風に加工されていたのですが、どこかジブリ映画の巨大ロボット兵に見えたので、じっくり見物してみることに。

▲泉ヶ丘を背景に腕を伸ばす巨大ロボット兵
これまで市内の公園を見てきた中で、これほど特色のあるブランコはないでしょう。どこか怪しげな表情ですし、人気のない夜にこれを見たくはないなぁ...。
撮影日:2023年3月19日
あとがき:帰国時72時間以内の陰性証明マジ無意味だからやめろって
テレビやSNSではここ最近、海外旅行に関する発信が増えてきました。ようやく脱コロナが始まったと喜んでいる一方、複雑な気分の自分もいます。
今からでも国外に出たいという気持ちはありますし、その気になれば1か月は戻らないでしょう。ただ一つ、面倒な問題が残っています。あれだよあれ...帰国時72時間以内の陰性証明です。
はっきり言って無意味でしょアレ。あれほどコロナ騒動でバカ騒ぎしていた台湾でさえ、普通に往来できるそうじゃないですか。3回以上接種は絶対安全で、未接種ないし接種2回以下は病原菌扱いというのが、なんとも嫌らしい。PCRを受ける気はないですし、そもそも検査場少ない&高額みたいですし、今は行って帰ってくる気にはなれません(金持ちじゃないから割に合わない)。
海外旅行ブロガーという立場上、TwitterのFFさんには同業者が多く、今年に入ってから現地からの生配信が増えてきました。ああいった情報を見ていると、かなり精神をやられるのでTwitterからは距離を置いています。
3月に入ってからツイート数が減ったのは、そういう事情があるからです。なぜこうも、政府は柔軟に対応できないのか...。
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