JR宮田線磯光駅が手つかずで残っていたころ【2001年】
特定地方交通線の跡地転用がまだ進んでおらず、鉄道時代の痕跡が多く残っていた2000年代初頭、JR宮田線(1989年廃止)の磯光駅跡を訪ねました。
この駅は線内唯一の中間駅で、かつては石炭輸送用の支線も分岐していたそうです。廃止から12年がたち、駅跡はすっかり廃墟然としていました。しかし、跡地転用はまだ進んでおらず、ホームと路盤は手つかずで残っていました。

▲磯光駅ホーム(奥は筑前宮田方面)
線路跡には草が生い茂り、鉄道時代の面影はゆっくりかつ着実に、風化が進んでいました。かつては立派な駅舎もあったようですが、見る影もありません。

▲駅横に残っていた橋桁
ホーム端から筑前宮田方面に目をやると、小さな橋桁が残っていました。何気ない遺構ですが、しっかり記録に残しておきます。
こうして多くの痕跡が残っていた磯光駅ですが、あれから数年のうちに状況は一変しました。跡地転用の道路建設が進んだことで、アスファルトの下に消えていったのです。2023年現在、磯光駅跡に痕跡と呼べるものはありません。
撮影日:2001年
この駅は線内唯一の中間駅で、かつては石炭輸送用の支線も分岐していたそうです。廃止から12年がたち、駅跡はすっかり廃墟然としていました。しかし、跡地転用はまだ進んでおらず、ホームと路盤は手つかずで残っていました。

▲磯光駅ホーム(奥は筑前宮田方面)
線路跡には草が生い茂り、鉄道時代の面影はゆっくりかつ着実に、風化が進んでいました。かつては立派な駅舎もあったようですが、見る影もありません。

▲駅横に残っていた橋桁
ホーム端から筑前宮田方面に目をやると、小さな橋桁が残っていました。何気ない遺構ですが、しっかり記録に残しておきます。
こうして多くの痕跡が残っていた磯光駅ですが、あれから数年のうちに状況は一変しました。跡地転用の道路建設が進んだことで、アスファルトの下に消えていったのです。2023年現在、磯光駅跡に痕跡と呼べるものはありません。
撮影日:2001年
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