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新シリーズ「オリジナル家系図を作る」始動!

2023年11月、戸籍法の一部を改正する法律が施行されました。
これにともない、2024年3月1日から、本籍地以外の役所でも戸籍証明書を取得できるようになります(広域交付制度)。


家系図の作成経験がある人なら、これがどれだけありがたいことか、ご理解いただけると思います。先祖の本籍地が自分と異なる場合、当該役所に直接出向くか、郵送で取り寄せる必要があったからです。

郵送といっても、単に申請書を送ればいいわけではありません。身分証明書のコピー、返送用の切手・封筒、手数料に相当する定額小為替が必要でした。

一族とは縁もゆかりもない宗像市役所でも入手できるのなら、有効活用するしかないでしょう!



家系図作成にいたるまで


自分のルーツを考えるようになったのは、小学生の頃です。

両親や祖父母から聞き出そうと試みるも、なかなか上手くいきませんでした。父方の祖父母は他界して久しく、母方も「先祖が熊本藩に刀を収める鍛冶師だった(祖父)」「漁村の名家だった(祖母)」ぐらいしか分からないまま、今に至ります。

しばらくルーツ探しから遠ざかっていましたが、ささいな出来事から再開を決意しました。

あれは2023年夏のことでした。
コロナ明けを機に、父方祖父母の50回忌法要をすることになりました。長崎のおじ・おばと協力して、古写真を収集・デジタル化し、法要にあわせて配布することも決まりました。

これまで父方祖父母といえば、遺影でしか知らない「遠い存在」でした。古い写真が集まったので見ると、祖父がじつに親父そっくりなのです。これには驚きましたね。一気に「身近な存在」へと変わりました。

そして、法要で親戚一同があつまったとき、親父のいとこを知りました。その後の墓参で、祖父兄弟の人数を知りましたし、祖父母ともに再婚なのを知りました。

法要中、頭の中で家系図を作っていると、ふと紙に起こしたくなりました。あらかた書き終わると、今度は直接おじ・おばから聞きとり、たりない部分を補いました。

帰宅後、系図のメモをエクセルに打ち直したことで、とうとう本格的なルーツ探しが始まったのです。

父方家系図(第1段階)


50回忌法要時のメモ書きに加え、親父が持っている改製原戸籍(ハラコ)も参考になりました。それをもとに作った系図が、以下の画像です。

父方系図1
▲クリックすると少しだけ大きくなります

祖母方が平松姓なのは、ブログ内で言及済みのため掲載しています。

親父の兄弟数を把握するのには苦労しました。
これまで、同父母の5人と祖母の連れ子(おじ)からなる、6兄弟だと信じていました。ところが、祖父にも連れ子が3人いて、うち2人は戦後の混乱期で早世したものの、女子1人が生存していたのです!

おじ・おばとは全員面識があると思っていたのに、まったく知らないおばさんがいました。親父はもちろんのこと、おじ・おばも面識がないそうです。

ハラコによれば、「未知のおば」は昭和の終わりごろ、三重県津市に嫁いだと記録されています。当該住所を調べてみましたが、すでに他人の持ち家になっており消息不明です。生きていれば75歳頃ですが、もう亡くなっているかもしれません。

先祖は聞き取り・墓碑銘の情報だけで、幕末生まれの直系高祖父母までさかのぼれました。15年前に他界した本家の大おじが、墓づくりのために情報を遺してくれたおかげです。直接感謝を伝えたいですが、もうこの世にはいません。

祖父兄弟のうち、一人は早世、もう一人は1940年に湖北省荊門県辛家巷で戦死したことが分かりました。女性一人は嫁ぎ先で死亡したものの、なぜか実家墓地に埋葬されています。

母方家系図(第1段階)


母方はすんなりとかつ容易に聞き取れました。というのも、祖母が存命だからです。それに加えて母方おじ・おばが全員、福岡県内にいるのも功を奏しました。

まずは2016年に他界した祖父の系図(T家)を見ていきます。
母方の原戸籍を取得する前に、聞き取りだけの情報をまとめてみました。

福岡のT家は男系ではなく、曾祖母ヨリヨを通して継承されていることが分かりました。ヨリヨさんは僕が唯一対面したことのある曾祖母で、7歳ごろに亡くなりました。とてもやさしく、かわいがってもらったのを覚えています。

曾祖母の先夫を山下氏といい、祖父誕生後に離婚しています。曾祖母は後夫との間に4人の子をもうけ、曾祖母・後夫の婚姻中、祖父は高祖母ヨツの養子となっていた模様。高祖父の名前はわかりません。

母方系図
▲クリックすると少しだけ大きくなります

書きそびれましたが、祖父母ともにルーツは熊本県の天草です。祖父は下島の鬼池(宮津)、祖母は上島の上津浦で育ちました。
調べてみると、たしかに旧五和町はT姓が多いですね!

祖母実家の川田家は上津浦きっての名家で、9人兄弟からなる大家族でした。今でも祖母は、母キヨ(曾祖母)と戦死した兄の写真を大切に持っています。もし祖母が乗り気なら、大おじの軍歴証明書を取得するのもありかなと思いました。父方おじに関しても同様です。

なお、キヨさんは僕の誕生時点でまだ存命でしたが、対面したことはありません。晩年は認知症がひどく、娘である祖母の名前も覚えていなかったそうです。

祖母方といえば昔、外務大臣を務めた園田直氏(1913-84)が遠縁だという話を聞いたことがあります。祖母いわく「ウチと園田さんはいとこたい」とのこと。曾祖母キヨの姉が、園田二三四(直氏の父)に嫁いだのだと話しています。

もしそれが本当なら、母は園田博之元官房副長官(1942-2018)のはとこに、僕は山崎理氏(アニメーター)のみいとこにあたるのですが、はたして本当でしょうか。

名もなき曾祖伯母(園田直氏母)の名誉にかけて


先ほど「はたして本当でしょうか」と書いたのには理由があります。

園田直氏の経歴を調べていると、wikipediaも家系図サイトも、決定的な点にかけていました。母親の名前が一切記録されていないのです。

母親への言及といえば、せいぜい天光光夫人の著書に記された一文からの引用ぐらいです。孫引きなので詳細は控えますが、直氏の母は「政治嫌い」だったとのこと。なんと、それしか伝わっていません。

もし血縁関係があるとしたら、直氏の母は僕の曾祖伯母にあたる人です。高祖父の原戸籍に行きつけば、何らかの情報は書かれているでしょう。園田二三四との婚姻が明記されていれば、祖母の言うことを信じてやれますし、名もなき曾祖伯母を「歴史の表舞台」に出してやれます。

今後の展開について


無名のイラストレーターが自分の家系図を公表したところで、誰かが得するわけでないのは明らかです。あくまでもメインは、3月1日から本籍地以外の役所で戸籍証明書を入手する場合、どういう手続きを取ればよいかという一点です。

もちろん、読み手の期待を裏切るようなマネはしません。家系図を作りながら、もし先祖調査で役立つノウハウがあれば、その都度ご紹介したいと思います。役に立つと思ったら、ぜひマネしてくださいね!

次回は宗像市役所でのハラコ入手について、3月1日以降のご報告を予定しています。
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