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戸籍証明書は「家族の歴史」を裏付ける【母方編-4】

戸籍証明書の広域交付をきっかけに、オリジナル家系図の作成を始めました。

まずは母方祖母の家系からさかのぼっていきます。

前回は祖母実家(川田家)の除籍謄本を取得して、6世祖父を1人抽出できました。入手できたのが、壬申戸籍の次に作成された「明治19年式戸籍」だったことから、これ以上さかのぼれる可能性は少ないと判断し、これにて川田家の調査を終えました。



金子家の戸籍証明書を取得へ


今回は祖母の母・キヨ(曾祖母)の実家にあたる、金子家(現在の熊本県上天草市松島町合津)の戸籍証明書を取得してみました。

川田家の除籍謄本から、キヨの本籍地・生年月日がわかりました。これを申請書に記入して役所に提出します。筆頭者の部分には、キヨの父・金子太吉の名前を記入しました。

待つこと1時間で、金子家の除籍謄本を1部取得できました。今回ほしい情報はすべて書かれているはず。さっそく精読に移りました。

気になっているのは以下の2点です。

  • キヨの姉
  • 藤澤家とのつながり


今回判明したこと


母方系図5
▲クリックすると拡大します

さっそく見てみると、明治~大正期の金子家について詳細が記されていました。分かった点は以下のとおり。

意味不明だと思ったらスルーしてください。あくまでも古い戸籍謄本から、こういった情報が抽出できることを示しているにすぎません。

  • キヨの父・太吉は1845年(弘化元年)生まれ、1921年(大正10年)没。
  • キヨの母・キツは1853年(文政5年)生まれ。
  • 太吉の父は金子新三、母はツル。
  • キツの父は藤澤又七、母はキヨ。
  • 太吉の母・ツルは文政5年(1822年)生まれ、1915年(大正4年)没。
  • ツルの父(キヨの父方・祖母方の曾祖父)は升本市郎次。
  • 太吉と先妻・トモの子は3人(新松・ツチヨ・クマ)。
  • 太吉とキツの子は2人(徳太郎・キヨ)

上の箇条書きには13人登場しています。

ここで新たな親戚、藤澤家・升本家が登場しました。升本市郎次はおそらく享和年間(1801-1804)の生まれだろうと推測しました。キヨの姉2人はともに異母姉で、ツチヨ・クマということが分かりました。

僕から見た続柄をあてはめた場合、以下のようになるでしょう。

  • 曾祖母:キヨ
  • 高祖父:金子太吉
  • 高祖母:キツ
  • 5世祖父:金子新三・藤澤又七
  • 5世祖母:ツル・キヨ
  • 6世祖父:升本市郎次

ここで大きな発見をしました!

5世祖父「金子新三」は、すでに川田家の調査時に登場していたのです。曾祖父・市太郎(キヨの夫)から見た母方祖父が、まさにこの人でした。すなわち、市太郎・キヨは「いとこ婚」ということになります。

藤澤彌彦の名前は見当たらず...


ここまでキヨの家族についてみてきましたが、残念ながら、園田二三四の妻につながる(祖母談)「藤澤彌彦」の名は見つかりませんでした。

もしかすると、藤澤又七の戸籍に当たれば登場するかもしれませんが、期待は禁物だと思っています。とりあえず今回の調査を通して、キヨ実家の戸籍証明書には藤澤彌彦・園田二三四ともに登場しないことが確定しました。

それともう一つ分かりました。ツチヨまたはクマがバツイチで藤澤彌彦に嫁いだと仮定したところで、園田直氏の生年(1913年)との整合性がどうしてもとれないのです。これで「キヨの姉=園田二三四の義母説」は消えました。

母方にはまだ調べる余地あり!


幸いにも金子家の戸籍様式は明治31年式です。もし明治19年式が現存していれば、金子新三・藤澤又七を戸主とする除籍謄本が取れるかもしれません。そこに藤澤彌彦医師が登場していれば、祖母の話を少しぐらいは信じてやれます。

金子家の調査もここでいったん止めておきます。

これにて母方の系図は、母実家のT家(天草市五和町鬼池)を除いて大方明らかになりました。園田二三四の妻について明らかにできなかったのは残念ですが、それでもめげずに、現地調査などの方法で調べていきたいと思います。

次回からはいったん父方編へ


さて、次回からはいよいよ父方編に移ります。うらたつき実家の男系祖先をたどる前に、まずはいろいろと複雑な祖母実家(長崎県ルーツ)から見ていく予定です。

ぜひ、個人による家系図作成の参考にしていってください!
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