ブログヘッダー画像
(当ブログにはプロモーションが含まれています)

戸籍謄本で傍系をたどるのは難しい...【母方編-5】

戸籍謄本で遡れる代数は、世帯によってまちまちです。

明治19年式戸籍の採用前に亡くなった人を探す場合、当該者の子供の戸籍欄から名前の特定は可能ですし、場合によっては家督相続の日付から、おおまかな没年を把握することもできます。ただし、それ以外の詳細を知ることはできないことが多いです。

この明治19年式戸籍というのがクセ者でして、自治体によってはすでに廃棄処分されていることがあります。といっても、大方の自治体では保管されているそうですが、運悪く廃棄されたことで先祖調査が難航する人もいるでしょう。

古い戸籍証明書をあらかた取得したところで、母方の調査をいったん打ち切る予定でした。そんな中、一つ気になる点にぶち当たりました。

藤澤彌彦の存在です。

祖母からの聞き取りによれば、この人が園田二三四夫人に何らかの形でかかわっているそうですが、あいまいな点しか分かっていません。天草の親類ともう少し付き合いがあれば、実際に電話等で確認をとれるのですが、気軽に連絡できる関係性がもう残っていないのです。

そこで広域交付制度を利用して、藤澤家の戸籍証明書を取ってもらうことにしました。



藤澤家の戸籍をダメもとで請求してみた


あくまでもダメ元です。というのも、藤澤家出身の高祖母キツは明治19年末に結婚しており、結婚前の戸籍が「壬申戸籍」しかない可能性があるからです。ちなみに明治19年式戸籍は、同年10月から使用開始されました。

「藤澤キツ」で検索にかけてもないだろうと思い、職員には「もしキツの名前がなければ藤澤又七(キツの父)で調べてほしい」と伝えました。僕から見ると、又七は五世祖父にあたる人です。はたして、戸籍証明書は現存しているでしょうか。

もし現存していれば、藤澤彌彦に到達する可能性があります。

明治19年式戸籍が編製された当時、今のような核家族ではなく「大家族」が主流でした。それを踏まえてか、一家の大黒柱たる「戸主」を筆頭に、その兄弟・配偶者・子供・孫など、現在よりも多くの情報量が記載されていました。傍系の記載もあるのが、明治19年式・明治31年式・大正4年式の特徴です。

待つこと1時間。窓口に呼ばれることはなく、職員が直接やってきました。嫌な予感がします。

思った通り、藤澤家の直系尊属は照会にかけても出てきませんでした。藤澤又七が戸主の明治19年式戸籍は残っていないのでしょうか...。

戸籍謄本が見つからない=廃棄されたわけではない!!


ただ、廃棄処分されているかどうかまでは分かりません。上天草市役所に出向き、現地で調べてもらうべきでしょうか。

現状入手できないということは、祖母の証言を戸籍証明書から裏付けできないということです。これで、藤澤又七が明治31年式戸籍への移行時点で、すでに鬼籍入りしていることも確定しました。

もう一つ考えられることがあります。それが、明治19年以前に又七・キヨともに死亡し、その息子へと家督相続が行われたパターンです。そうなると、もはや調べようがありません。

もちろん、入手できないからといって「すでに廃棄された」と決めつけるのは良くありません。

自治体によっては「デジタル化漏れ」があるらしく、広域交付で入手できなかった旧五和町鬼池(熊本県天草市)の戸籍も、このケースを疑っています。最終手段として、現地に出向いて確認してもらうことを思案中です。

予測できる家系図(藤澤・園田家)


上天草市松島町合津の藤澤家系図ならびに園田直氏系図の予測

こうして、藤澤家の調査は暗礁に乗り上げてしまいました。

それでもめげるわけにはいきません。これまで入手した情報をもとに、予想される藤澤家の系図を作りました。

祖母の話には一部、聞き違いがあったようです。キツ・藤澤彌彦・園田二三四・園田直の生年から、彼らの関係を推測できました。その結果、導き出せた推測は以下のとおりです。

  • 藤澤彌彦はキツの甥(祖母のいとこおじ)
  • 園田二三四夫人は藤澤彌彦の姉か妹?
  • 園田直は祖母のいとこではなくはとこ

【備考】
藤澤又七(1820年代生まれ?)

高祖母キツ(1853年生まれ)

藤澤彌彦(1882年生まれ)
園田二三四(1890年生まれ)
曾祖母キヨ(1898年生まれ)

園田直(1913年生まれ)
祖母(1935年生まれ)


あくまでも推測です。証明できるものがない限り、祖母の証言を確信することはできません。ただ、系図を持参してみれば、さらなる情報を引き出せる可能性があります。

よっしゃ、がんばってみよう!

それと、藤澤家がいまも皮膚科医の家系を保っていることがわかりました。彌彦の曾孫と思しき方が、熊本県内の病院に勤務されています。僕の「よいとこ」にあたる人ですが、ここまで来ると超遠縁ですよね。

そのほかはどうしよう...。園田家について調査を続行するとしたら、直氏の出身地・一町田の資料館や菩提寺をあたるしかなさそうです。藤澤彌彦はどうも戦時中の合津村長らしいですから、地元で図書資料をあたってみれば、何らかの情報は出てくるはず。こちらも時間があればチャレンジしてみます。


これにて母方編はいったんお休みとします。次回からは「正真正銘」父方編突入です!
関連記事