【福岡県宗像市】池田地名めぐり(梛野=なぎの・上大王寺)
まず最初に訪れた梛野集落は、孔大寺山の裾野に点在しています。そのため近隣の集落よりも若干標高が高いのが特徴です(といっても100mもないですが)。その他にも、孔大寺山登山口・孔大寺神社参拝口としての役割を担っています。
梛野集落へは、福岡県道97号(県道福間宗像玄海線)の池田交差点から分岐する市道から入っていきます。
ただしセンターラインのある広い道をずっと進むと垂水峠(R495交点)方面へ行ってしまうので、旧3号方面から進んだ場合はr97を右折直後、すぐに右へ分岐する細い道を進むようにしましょう。
孔大寺山登山口の案内看板があるので、その指示に従って進めば梛野地区へ行くことができます。梛野へ続く道を入ると、すぐに下の写真の風景が目に入ると思います。

細い道に入ってからは、裾野らしい緩やかな坂を進みます。

周囲は農地となっており、梛野集落の中心部は暫く進んだ場所にあります。道を進むと、左手に新しめの建物が見えてきました。

背後に孔大寺山をいただく場所にあるのが、梛野公民館。どうやら数年前に建て替えられたみたいです。入口付近にあるのは石碑ですが、もう少し近づいて見てみましょう。

読みづらいですが、先代もしくは先々代の梛野公民館を建設する際、建設費用を寄付した方々の名前が記されているのでしょうか?公民館を出て、さらに進んでみました。

以前孔大寺山に登ったことがあるのですが、だいぶ前のことなので登山口の様子は忘れてしまいました。しかしこの道をさらに進めば、確実に登山口があります。いざ登山口へ!

梛野の中心部へとやってきました。この道をまっすぐ進めば登山口があるそうです。
道路わき左手を見ると、なんと10キロ規制!少数ながらもあるようですが、今回初めて10キロ規制の標識を見かけました。同じ場所から左手へ分岐する道を写したのが、下の写真。

何かがありそうな気がします。しかし登山口へ続く道ではありません。何かありそうと思うのであれば、ぜひ行ってみるしかない!ということで進んでみることに。

確かに何かありました。たどり着いた場所は梛野川を渡る橋でした。看板を見る限り、砂防ダムが数多設置されているみたいです。
それにしても、水の音が全く聞こえません。結構(とはいえ100メートルあるかないか)標高が高い場所なので、川の大きさに比べて水の量が少ないのでしょうか?コンクリで頑丈に補強・整備されています。
橋から下流の方を眺めてみると・・・

残念ながら、梛野川は枯れていました。普通の水路に見えますが、れっきとした釣川水系の河川です。

水の流れていない梛野川に別れを告げ、さらに進むと登山口に至ります。

ここからまっすぐ進みます。

梛野地区の中心部を出ると、大きな鳥居が現れました。ここから孔大寺神社遥拝所まで参拝道が続きますが、並行する道が整備されているため荒れています。

▲左の細いスペースが参道
人が通らなくなった今でも石段が残されていました。遥拝所まできつい上り坂が続きます。

上り坂が終りました。左側には遥拝所がありますが、右側にも何かがあります。覗いてみましょう。

▲右側には池田配水池
ここから大王寺地区などに上水道が供給されます。ちなみにこのあたりの標高は海抜90メートル程となっています。



今から約25年前の1988年に、玄海東小の児童が制作した看板がありました。当時の児童は現在、30代半ばといったところでしょうか。少々傷んだ看板に時の流れを感じます。

宗像四塚の最高峰である当孔大寺山頂近くにあります孔大神宮は100数10年を経て老朽化が進んでおりました。
平成10年池田区氏子の総意をもちまして浄財を集め、社殿の建て替え新築工事を行い平成10年に新築社殿の完成をみることが出来ました。
又、社殿新築に併せ鳥居、灯篭、狛犬、常夜燈を新設されました。
寛政年代(1790年)より続く孔大寺宮大祭は毎年3月2日にとりおこなっております。池田区氏子一同は今後とも当孔大寺宮を大切に奉祀してゆく所存でございます。
ご参拝の皆様におかれましては社殿近くにおける焚火、社殿内の進入行為、落書等を絶対に行わないようにお願い申しあげます。今後とも愛情持って登山、参拝下さるよう池田区氏子一同お願い申し上げます。
池田区氏子一同

一、御祭神
大己貴命(オオナムジノミコト) 少彦名命(スクナヒコナノミコト) 医薬祖神
一、由緒
この孔大寺宮は、宗像六社の其一つにして(六社とは宗像三社、織幡、許斐、孔大寺是也)本郡の東北にそびえる郡第一の高峰孔大寺山標高四九九米の山腹に鎮座する産土(ウブスナ)神也。往昔は祭祀も年中数度厳密に行われていた。創立不詳
明治十年三月再建(一八七七年)同年三月廿一日、官幣大社宗像大社の境外摂社(ケイガイセッシャ)に列せられる。孔大寺権現と人知れず云われ、山勢雄偉にして山の頂に大穴が有った故孔太とは穴太のことなり、よって孔大寺の号となる。
昔、天然痘流行の折、孔大寺宮に参詣すると治るとて参拝者が多く、以来病気平癒病除けのお守として子供用のぞうりを青木の小枝に付けて授与す。
一、例祭日 三月二日
石碑奉納
西暦二〇〇〇年一月一日
池田区社中氏子一同

遥参所の全体像は写真上のような感じになっており、定期的に手入れされているため、とても綺麗です。

遥拝所前に立つ鳥居は、慶應4(1868)年に建立されたものです。慶應四年戌辰三月吉旦再建と刻まれていました。日本史でおなじみの明治政府が発足したのち、戊辰戦争が勃発した年ですね。

趣たっぷりの登山道兼参拝道ですが、紅葉の季節に行ってみたいものです。訪問当日は雨上がりだったこともあり、あまり人はいませんでした。
それはそれで撮影しやすかったのですが、ちかくで獣の鳴き声か何かが聞こえてきます。猪もしくは猿かもしれません。
近くにはだれもいません。万が一のことを考え、撮影後はすぐに退散しました。

遥拝所に別れを告げる前に、石碑をもうひとつ見つけました。
平成七年二月
上の写真左端に写るイチョウが記念樹で、説明文の上には御歌が刻まれています。
平成4(1992)年夜須高原(福岡県筑前町)にて、孔大寺山中腹にある大イチョウから採取した種子を天皇陛下がお手まきされました。その後県内で育苗され、平成7(1995)年から孔大寺神社遥拝所に植えられ現在に至るということです。
登山口には上大王寺地区と梛野地区の両方から行くことができますが、帰りは上大王寺地区を通ることにしましょう。
孔大寺山の登山口からは梛野(なぎの)集落だけでなく、同じく池田にある上大王寺集落に行くこともできます。
梛野から登山口へ続く道をさらに直進すると、T字路に突き当たります。左折すると行き止まりになるので、右折して下り坂を進むことにします。

▲赤い実をつけた柿の木

▲先述のT字路付近から大王寺地区方面を眺めて
緩やかな下り坂が続いており、このあたりの風景は梛野集落によく似ていますが、こちらの方が若干山がちです。

▲T字路から振り返り、登山口方面を眺めて
道脇にはお地蔵さまが安置されていました。宗像市内には至る所に地蔵が安置されていますが、いずれも綺麗に清掃され、大切にされています。ここのように、立派な上屋がかけられているケースも少なくありません。

▲坂を下ると上大王寺集落だ

▲名もなき川
夕日に照らされ輝きながら、玄界の海へ向け流れていきました
坂を下っていると、蜜柑の木のそばを通過します。それにしても、道路上に潰れた蜜柑が数個転がっていましたが、猪の仕業でしょうか?

▲上大王寺集落から西方面を眺めて
左側の新しい住宅地は宗像コモンです。遠くには宗像清掃工場(ゴミ処理場)の煙突があり、煙を出しているのが見えます。


▲上大王寺公民館

▲寒そうにしている公民館の隣にいた白猫

▲県道75号線沿い
ここから少し進むと県道75号(若宮玄海線)に突き当たります。西鉄バスの上大王寺バス停は、75号沿いの住宅地に設置されています。桜町団地や玄海ニュータウンが近く、コンビニや居酒屋などもあって賑やかです。
県道沿いに戻ってきたところで、池田地区にある2集落の散策終了です。それほど時間をかけず、さっと終わらせたつもりですが、思いのほか沢山の情報や物件に触れることができました。
撮影日:2012年1月
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