オンボロ駅舎が残る 地味だけど味わい深い筑肥西線(山本~伊万里)

2008年3月、博多から地下鉄~筑肥線(唐津線)~松浦鉄道~佐世保線~大村線経由で諫早まで巡りました。今回は筑肥線のうち、筑肥西線こと山本~伊万里間の様子を、前面展望画像とともに少しだけお送りします。

福岡と唐津を結ぶ通勤路線として4扉の電車が行き交い、一部は地下鉄にも乗り入れる筑肥東線(姪浜~唐津間)とは裏腹に、西線は非電化の閑散区間であり、非常にローカル然とした風景の中を通っています。

今回は単行のキハ125形に乗って移動します。唐津線でもキハ47系とともに使用されていますが、単行でも使用できるという利点を生かし、利用客の多くない筑肥西線で大活躍しています。山本~伊万里間には沢山の木造駅舎がありましたが、肥前長野駅を除き、ここ15年で姿を消しました。

筑肥線大川野駅でキハ125系と交換
列車は山間を進み、やがて大川野駅に到着しました。筑肥西線では唯一交換可能な駅であり、新しい駅舎が建てられています。

古い木造駅舎は2000年代前半に取り壊され、暫くの間土台が残るだけとなっていましたが、2006年に交流施設「眉山ふるさと館」を兼ねた新駅舎が建設され現在に至ります。

筑肥線肥前長野駅駅舎
つづいて、肥前長野駅でも車内から駅舎の様子を収めていきます。先述のとおり、筑肥西線に於いて古い木造駅舎を有する最後の駅となっています。

筑肥線肥前長野駅駅舎
▲荒廃した木造駅舎が残る肥前長野駅

筑肥線肥前長野駅駅舎
駅舎は内外ともにかなり荒れているようで、所々崩れています。鹿家駅の木造駅舎が取り壊された今、東西筑肥線の中でも数少ない古い木造駅舎の一つとなりました。

筑肥線桃川駅の古い駅名標
桃川駅の存在も目が離せません。残念ながら駅舎は取り壊されてありませんが、国鉄時代からの古い駅名標が残されていました。駅名標は風化しつつあり、所々で字が消えかけ、黒ずんで傾いています。それでも急行「平戸」が走っていた頃の栄華を忘れさせまいと、しぶとく立ち続けているような姿が印象的でした。

伊万里市街地が見えると、列車は最後のラストスパートを駆けます。そして棒線ホームの伊万里駅に到着。写真はありませんが、終点にしてはあまりにもあっけない造りになっています。

伊万里駅では松浦鉄道と接続しており、筑肥線はここで終点です。今でこそ筑肥線と松浦鉄道の乗り場の間には道路が貫き、線路は完全に分断されて直通できない状態となってしまいましたが、少し前までは広々とした駅構内が広がっており、さらに国鉄時代にさかのぼると、伊万里駅は「通過点」としての側面も持っていました。

かつては博多から筑肥線・松浦線などを経由して長崎まで、急行「平戸」が運行されていました。JR松浦線が経営分離されて「平戸」が廃止(1988年)となるまで、伊万里は通過点としての役割も持っていたということになります。

ここからさらに話を掘り下げることもできなくはないですが、筆者は国鉄時代を知らないので、細かい話はあまりしないことにします。

撮影日:2008年3月
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Comment

のむくん

1. ((+_+))!!驚

つらゆきさん、こんにちは★

。。。これ、廃線。。じゃないですよね。

木造駅舎、古いというよりボロすぎません?!

仕事柄、この建屋の安全面とか気になるところです。。。

2012年11月30日(金)12:11

神崎守

2. こんにちは。

当時は、急行出島とならんで急行平戸が走ってたんですね!ねんきの入った駅舎で、キハ125系は見たことがないですね。

2012年11月30日(金)12:37

TSURAYUKI

3. のむくんさん

ですよねー!あまりにもローカルすぎて、民営化直後まで急行列車が走っていたとは思えないほどです。
筑肥西線を見るたびに「寂しい」という印象ばかりが頭をよぎるものです。

2012年11月30日(金)20:39

TSURAYUKI

4. 神崎守さん

今の筑肥東線は4扉ロングシートの通勤電車しか走っていませんが、個性豊かな気動車が福岡市南縁を走っていた頃は、かなり撮影し甲斐があったことでしょうね。

2012年11月30日(金)20:45