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池浦山王神社(宗像市池浦)―森の中にボンヤリ浮かぶ猿像

宗像市池浦にある、池浦山王神社(または池浦山王宮)の様子をお送りします。

神社がある池浦地区は、玄海町と合併するまでは旧宗像市の最北部を占めていました。r97号(福岡県道福間宗像玄海線)が通っており、宗像市中心部と池田・鐘崎方面を結ぶ要路として機能しています。

神社は地区中心部から離れており、狭い里道を奥へ奥へと進んだ場所にあります。神社周辺には民家がなく、人通りが少ない場所であるため、複数人での参拝をお勧めします。

池浦山王神社碑
神社入口

池浦山王神社鳥居

鳥居は一基あります。老朽化が激しく、至る部分に金具が取り付けられているうえに、刻銘も読み取りづらかったです。

池浦山王神社鳥居刻銘
▲鳥居の建立年は安永3(1774~75)年?

池浦山王神社参道
▲参道と拝殿

池浦山王神社参道
▲参道


▲手水鉢など

池浦山王神社末社と猿像
▲末社と猿の神像

額には縄が巻かれており、その姿はあたかも、頭に「禁箍」が付けられた西遊記の主人公・孫悟空のようです。

池浦山王神社の猿像と本殿
▲猿の神像と本殿

池浦山王神社猿像の背中
▲猿像の背中

池浦山王神社末社池浦山王神社末社
▲末社

池浦山王神社石碑

玉垣はなく、石碑が七本ほど建っているのみでした。

池浦山王神社瓦
▲並べられた瓦

池浦山王神社

人気のない寂しい場所ですが、柔らかな木漏れ日が美しかったです。

池浦山王神社

石材が一本、神社入り口付近に転がっていました。
神社関連の部材だと思いますが、いったい何でしょうか?

池浦山王神社由緒
池浦山王神社 由緒(読みやすいよう、読点・句読点・空白を適宜設け、助動詞「也」とカナ書きは、かな書きへと改めています。文字が読み取れない個所は■で表しています。)

池之浦山王社之由来

康正二年、筑前国宗像郡多禮村池之浦郷氏戸四拾参戸 相謀りて、近江國滋賀郡比叡山より、此の地 古屋敷の森に山王社を勧請して産土神とせり。祭神は大山昨命なり。
仝(同の異体字)年九月九日、日田古社山王権現社を建立し、神主小方左門 鎮座祭を齋行せり。神殿方三尺、拝殿弐間、参間、石鳥居一基。
安永三年四月石鳥居一基再建。
天保郷帳に多禮村枝郷池之浦に日吉社在と記さる。
明治二十二年、河東村大字池浦區と改称され村社となり、幣帛を献上。氏子伍拾壱戸、人口弐百伍拾人なり。
明治四拾年、須賀、穀、八幡の三宮を一反庄の森より日吉山王社の境内に遷座、合祀す。
神々近江國比叡山延暦寺、傳教大師(最澄)が山嶽信仰の道場として創建せるものにして、天台宗総本山なり。而して、山王権現は比叡山の守護神として信仰せらる。

池之浦日吉山王権現は山神■主神■産土神にて、宗形家の一族たる池之浦古屋敷宗形家の祖が此の地坤の方角百拾余間の処に天台宗円光寺を創建せるに始まる。神主小方左門なり。爾来池之浦宗形家が代々座主を継承せしも、乱世の末廃絶せり。跡地を寺屋敷と称す。

古屋敷高橋家の祖は、古屋敷の地主 宗形六三郎に男子なく、その女は筑前國主黒田長政公の重臣高橋伊豆守匡順戸の間に男子を儲け、彦太夫と名付け幼少の頃より伊豆守の屋敷に於いて文武の道を学び成長。後母方宗形家に帰り高橋氏を称す。
日吉山王は山王之猿なりとて、猿を以て此の神の使なりと云。渡殿横に石造の猿像奉納さる。
安産子育縁結びの神なりとて信仰せらる。妊婦は祈願成就に歳の數の縫くるみ猿を奉納する慣習あり。
若者は九月、十月の晦日 夜籠りして良縁を祈願し、夜食に握り飯壱個苑食す。その中壱個に蕃椒加有之に当たる者、良縁を享くとて御神酒壱舛を献上し、参加者一同より祝福を受ける風習伝われり。

昭和五十二年八月
建立者 高橋喜一郎
仝 高橋辰次郎

付録:菅ヶ谷池と受堤池

宗像市池浦の菅ヶ谷池

池浦地区に数か所ある溜池の中から、今回は二か所立ち寄りました。まず一つ目は菅ヶ谷池です。あまり人気がないため、不気味さが漂っていました。一人で来る場所じゃないな...。

宗像市池浦の池

続いて訪れたのは、菅ヶ谷から少し離れた場所にある、受堤池という名の溜池です。こちらも不気味さが漂っていました。

ここはなかなか名称が分からず、判明までに時間がかかりました。宗像市配布のハザードマップでようやく確認した次第です。

撮影日:2013年4月26日
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神社宗像市

COMMENT

ひでKuro改ひでShiro

1. 無題

なつかしかーー(*゚▽゚*)じいちゃん!ばーちゃんの場所たい!!

2013年12月16日(月)08:21

TSURAYUKI

2. ひでKuro改ひでShiroさん

コメントありがとうございます。この神社は、趣があっていい場所ですよね。

2013年12月17日(火)13:23